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文系醫學生の記録

北海道大學醫學科學生井上大輔が書いてゐます.

地方の少年にやりたいようにやらせる、静岡大学教育学部附属静岡中学校というメソッド

僕が行った中学校は、静岡大学教育学部附属静岡中学校という学校である。この学校の特質は、甚だしい放任である。なにせ、授業がない。

いや、ないは言いすぎた。だが授業らしい授業はほとんどなかった。各分野の初めの1時間だけ教室に集められて、その分野のことを少しだけ教えてもらえる。あとは自分で調べてこいと放流される。何か人を驚かせるようなことを見つけてこいと、図書室や図書館や資料館に送り出される。意欲的なやつは保護者のなかの専門家に聞きに行ったり、大学の先生に会いに行ったりする。調べる時間を何時間か与えられたあと、教室で発表と議論になる。

もちろん、みんながみんな、足がまっすぐ図書館や資料館に向かうわけではない。学校が街なかにあって制服もないので、遊ぼうと思えばやりたい放題だ。これも黙認されていた。かくして、中学受験では静岡県の最上位層にいたお坊ちゃんお嬢ちゃんたちが3年後には何も身についていないというのも、この学校にはよくあることだった。

当時はこの放任の意味を深く考えなかったが、いま振り返ると、練られたシステムだったと思う。なぜなら、地方の青少年が学問をしようと思うと、大都市の人より不利になるとよく言われる。その原因として、

1 高度なことを教えてくれる先生がいない。

2 勉強している人が少ないので、自分もわざわざ勉強などしなくても良いのではないかと思ってしまう。

の2点がよく挙げられる。母校の教育は、この2点をクリアするための方法だったと、いま思う。問題1に対しては、生徒が教官の話を聞く時間を最小限にして、文献を読む時間、生徒どうしで議論する時間にまわす。問題2に対しては、「まわりが何をしていようと、自分が勉強したければする。したくなければしない。そういうものだ」と、小学校を出たばかりの少年たちに気づかせる。この方針に合わない人もたくさんいたから、手放しに賞讃するわけではないのだが、「地方」のデメリットを跳ね返すための有効な方法の一つだったと思う。

このように書くと、この学校の教官は誰にでも務まるように思えるだろうが、決してそんなことはない。才気走った中学生の屁理屈・口答えそして自己主張を怒らずに聞いていられるという極めて特殊な能力を高い水準で要求される職務だ。静岡みたいな、守旧的な、儒教的な、人の序列にやかましい土地であの陣容を揃えて維持していただけでも偉大な事業であったと、いま、限りない感謝とともに思うのである。