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文系醫學生の記録

北海道大學醫學科學生井上大輔が書いてゐます.

舊かなづかひの思想

日本語を舊かなでどう書くか人に教へるとき,あるいは舊かなの利點を人に説くとき,「言う」は「言ふ」と書くとか「きずな」は「きづな」と書くとかといつた個別の語をどう書くかの説明よりも先に,舊かなづかひが何を目指してゐるか,つまり思想の説明を先にすべきではないかと思ふ.だが,さういふ本や web page はあまりないやうである.そこで私が,私の未熟な理解の一部をここに開陳したい.

音の變化にどう立ち向かふか

言語の音は,少し時代が經てば,すぐに變はつてしまふ.例へば「火事」を「クヮジ」と發音する習慣,格助詞の「が」を鼻濁音で發音する習慣は,この半世紀に急速に衰頽した.音の變化に,表記の側はどう立ち向かふか.この問題に對する二つの姿勢が,新かなづかひと舊かなづかひである.

新かなづかひでは,音が變はればすぐに表記も變へることで對處する.舊かなづかひでは,音が變はれば表記と音の對應規則を變へ,なるべく表記を變へないことで對處する.

語の融合にどう立ち向かふか

語と語を組み合はせて新しい語を作れるといふのは,言語の基本的な機能である.「ひとづま (人妻)」は「人」+「妻」であり,「いなづま (稻妻)」は「稻」+「妻」である.ところが新かなづかひでは,それぞれ「ひとづま」「いなずま」と書けと指導する.これは,「人妻」においては「人」+「妻」の意識がまだあるが,「稻妻」においてはもはや「稻」+「妻」の意識がまだないから,と新かなづかひの規範は説く.

しかし,かかる「意識」があるだのないだのと判定するのは誰なのだらうか.新かなづかひの規範では,國語審議會等の機關が判定するとしてゐる.

舊かなづかひでは,「意識」が現在あるかどうかを表記の規準にはしない.舊かなづかひでは,可能な限りの昔まで遡つて,語源において「意識」があつたかどうかを表記の規準にする.昔のことが何でも貴いわけではないが,意見の不一致を解消するための客觀的な指標として,知れる限りの昔の日本語を參照するのは良い方法だらう.

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