文系醫學生の記録

北海道大學醫學科學生井上大輔が書いてゐます.

静岡の民族主義

帰省を終えて札幌に戻った.

不安なことがある.

街には静岡おでんの店がたくさんあった.どの店の看板の「静岡」にも「しぞーか」とルビが振ってある.方言だ. 私の十代のころはこうではなかった.私は家で「方言を使うな」と言われた.学校の教官にも言われたと思う.友人の間でも,方言を使ったら恥ずかしいという風潮があった.私の年代の静岡市内で育った人はだいたいそうではないかと思う.

文化全般に関しても,同じようなことが言える. 2000 年までの静岡は,土地のものをあえて誇るような街ではなかった.むしろ,東京との互換性を誇っていたように思う.江戸時代は徳川家とその家臣団が江戸と駿府をよく往来し,江戸の良いものは全て駿府にあり,駿府の良いものも全て江戸にあるという状態が長く続いた.徳川の幕府が滅んで明治が来ても,地勢上の近さから,この状態はやはり続いた.すると,土俗を持たない,方言を持たないという誇りの持ち方も,自然に生まれるものだろう.

「方言を使うな」,この教えこそが,私が,「言葉には正しい言葉と正しくない言葉がある」と気づく契機だった.「正しい言葉を吐かねばならぬ」つまり「正しい言い方で正しい内容を言わねばならぬ」,この要請を受け容れたあとは,言葉も知識も急速に身についた.現在の私に多少とも知恵があるとすれば,それは,方言を使うなと言われたからである.「方言を使うな」,この規範は私にとっての認識の起源,知恵の始まりだったと言える.

不安なのはこの契機についてである.いまの「しぞーかおでん」の街に育つ若者は,「ものを知らねばならぬ」とわきまえる契機を,私の世代と同等に得られるのだろうか.自信を持つのと開き直るのは紙一重,恥じるのと進歩を志すのも表裏一体だ. 15 年前は,街の成人は「こんな恥ずかしい都市は滅ぶ」と焦り,未成年者も「こんな未開の地にいたら滅ぶ」と焦っていた.帰省するたびに驚かされる街の発展は,彼らの功績だろう.

私の得た契機は,たくさんあり得るなかのほんの一例に過ぎない.こんな不安は杞憂かもしれない. 10 世紀の日本では中華崇拝が去り,国風文化の風が吹いた.そのころの保守派も,私の抱く不安と同様の不安を抱いたことだろう.彼らの不安は杞憂に終わった.私の不安も杞憂に終わると良いと思う.東京から自立し始め民族主義の勃興しつつある故郷を,見守ってゆこうと思う.

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