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文系醫學生の記録

北海道大學醫學科學生井上大輔が書いてゐます.

情弱の団体は感情に支配されており所属すると膨大な時間を奪われてもったいないので所属したくない

いま、情弱の団体に所属していない。ここで「情弱」とは「世情に疎い」の意ではなく「計算機や情報機器の利用の程度が低い」の意だ。私はいつも「情弱」をこの意味で使う。

情弱の団体に所属していない。このため、生活は効率的だ。さらに、所属している団体の意思決定は理によってなされる。たいへん快適だ。

情弱の団体は情に流されていることが多い。「新しいことをしたくない」「勉強したくない」「見慣れないものを自分の団体に入れたくない」「成功できなくて良いから失敗したくない」「向上できなくて良いから現状を維持したい」という感情に支配されていることが多い。緻密なコスト計算によって、あるいは崇高な理念によって、情弱的手段で運用している団体もあるとは思うが、稀だ。

情弱の団体では多数派・主流派が感情に強く縛られているので、理屈による説得はほぼ不可能だ。このため、情弱の団体は、運営のあり方をほぼ変更できない。所属したら最後、ずっと情弱的手段を強制されてゆくことになる。時間がもったいない。

我々の社会は情報技術によってもっと便利に、平等にできる。私の生活ももっと効率的にできる。然るに情報技術における私の知識はごみくず程度しかない。もっと勉強せねばならない。勉強しない、向上しない生き方もあって良いと思うが、そういう人に私の時間を捧げる余裕はない。

情弱の人とつきあうのは良い。人とつきあうのはその人を目的にすることだから、可能な限り譲歩するし、時間も割く。だが団体に所属するのは、所属するのが目的ではなく、何かのための手段だ。ならば可能な限り、団体に使う時間も労力も小さくしたい。情弱の団体ではこの要求が満たされない。

しかし日本自体が情弱の国である。日本に団体があればそのほとんどは情弱の団体である。 こういう事例もある。

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日本で生きるということは、情弱の団体に引き込まれるリスクとともに生きるということである。国外脱出も真剣に考えなければなるまい。